2010年



ーーー8/3ーーー フランス・レストランにて


 先週友人と二人で、一泊二日の登山を行った。出掛ける前日の夕方のこと。友人が到着し、携行品の分担、点検などの準備を終えた後、家内と三人で、近くのレストランへ食事に行った。

 林の中のフランス・レストラン。年に何度か出掛ける、馴染みの店である。ほとんどの外食が口に合わない家内が、唯一信頼を置いているレストランでもある。友人は料理好きなので、この店なら喜んで貰えると思った。北アルプス登山の前夜に、フランス料理を楽しむというのも、粋な計らいではないか。

 家内は夕方、自宅の畑で枝豆を収穫した。枝豆は、我が家では今が旬で、毎日採れたてを食べている。これをレストランのオーナー・シェフご夫妻に差し上げようと言い出した。ご家庭で食べて頂く目的で。私は、レストランの店内で品物を出すのは、他のお客様の手前、却ってご迷惑ではないかとも心配したが、そこら辺は家内が上手くやるだろう。

 予約した時刻より30分ほど早めに到着したら、他に客はいなかった。これで私の心配は無くなった。オーナーの奥様は、喜んで受け取って下さった。

 メニューを決めて、食事が始まった。私はオードブルに夏野菜のテリーヌを頼んだ。種々の野菜を絶妙なタッチでまとめたこの一品は、夏の定番のお気に入りである。勧めに応じて、友人も同じものを頼んだ。皿の中央にはテリーヌがあり、周囲に野菜のピースが配してある。それらの野菜に混じって、点々と枝豆が置いてあった。鞘を二つに割り、その上に豆が三つ並んでいる、可愛らしいアレンジもあった。皿を運んできた奥様が、「頂いた枝豆、さっそく茹でて食べたらとても美味しかったです。それで、ちょっと使ってみました」と言った。

 この対応は、私たちを驚かせた。差し上げた枝豆を、すぐに食べてくれたことが、まず驚きだった。調理場で、仕事の合間にサッと茹で上げてしまう手際の良さが伺えた。枝豆は、取れたての1時間以内に食べなければ、味が落ちる。そういう野菜の性質を、よく心得ていて、タイミングを逃さずに味を見るというのが、プロの料理人の、言わば本能なのか。さらに、美味しいことを確認したら、すかさずメニューに取り入れて出す。何と気が利いた計らいだろう。そんなふうに使って貰ったら、差し上げた方としては、望外の嬉しさを感じるというものである。

 友人も、自家菜園で野菜を育て、それを食することを日々の楽しみにしている男である。料理の素晴らしさに加えてこの対応には、大いに心を動かされたようであった。私は、このレストランに誘ったことで、面目が躍如したような気がした。

 シェフは、フランスで修行をした経歴を持つ。野菜を丁寧に扱い、その美味しさを最高に引き出す手練は、本場仕込みなのだ。そして、お客の気持ちを大切にし、お客を楽しませるもてなしを、咄嗟のアドリブでやってのけるのも、おそらくかの地で身に着けた心得なのだろう。フランス料理のシェフとしての正統なるプライド。そして人生を楽しむことに長けた西洋の文化。それらが乗り移ったかのように、緑の豆は皿の上で輝いていた。

 フランス料理のレストランと言うと、気取っていて堅苦しいという先入観をもちがちだが、本来はそういうものではないのだろう。そんな思いが頭に浮かんだ。




ーーー8/10−−− 北アルプス横断縦走


 7月28〜29日に実施した、爺ヶ岳から鹿島槍ヶ岳の登山は、訓練山行と位置づけたものだったが、相棒の調子がいま一つだった。それで、本番登山に不安を抱いたが、相棒が自らの体調を考慮した上でOKだと言うので、実施を決めた。正直に言って、成功する可能性は半分以下だと思った。体調のことは、本人しか分からない。それを信頼して山に入り、具合が悪ければ引き返す。それも判断の一つだと割り切った。

 本番登山は、前日発、山中4泊5日で北アルプスを西から東へ横断する幕営行。この規模の登山は、私にとっても、大学山岳部以来のものである。


[8月5日]

 午後9時過ぎ、富山駅着。計画ではステーション・ビバークをすることになっていたが、他に登山者は無く、付近の状況も相容れないものがあった。相棒の提案で、駅前のビジネス・ホテルに泊まることにした。登山前夜にホテルに泊まるというのは、私の登山人生で初めてのことであった。


[8月6日]

 早朝5時のバスに乗る。発車時刻が近づくにつれ、登山者が集まってきた。みんなホテルに泊まっていたのだろうか。

 例年利用されている道路が崩壊して通行止めになっているので、バスは大きく迂回したコースを取る。登山口まで3時間半かかった。ちょっとしたバス旅行である。

 薬師岳の西の麓の登山口「折立」に着く。駐車場には、自家用車がたくさん停まっていた。バスから降りる者、既に登山準備を始めている者、合わせて数十名の登山者は、ほぼ全員が中高年である。

 登り始めて5時間ほどした14時頃、雨が降り出した。大粒の雨が激しく降りつける。雨具を着たが、すぐにびしょぬれになった。夕方になって雨は止んだ。この日初めて撮った写真は、濡れたものに溢れるテント場風景。























[8月7日]

 3時に起床するつもりが、30分寝過ごした。天気はまずまず。この朝が昨日のような雨だったら、先に進むのがためらわれたろうと言っても、冗談ではない。

 テント場を後にして、薬師沢出合に向かう。陽が上がるにつれ、天気が回復してきた。北方的な様相の樹林帯の中を、黒部川へと下っていく。





 薬師沢出合の吊り橋で黒部川を渡り、雲ノ平への登りとなる。這い上がるという言葉が相応しいような急登を2時間少々で、雲ノ平に登り着いた。



 北アルプス最奥の地、雲上の楽園、などと呼ばれているこの場所を、私は過去3回訪れているが、その名に相応しい素晴らしさを、天気に恵まれた今回初めて体感することになった。

 たおやかな起伏を描く溶岩台地は、緑の草原と、高山植物に彩られている。




 身ひとつで、気ままに散策をする。周囲を3000メートル近い山々に囲まれたこの地は、まさに北アルプス山上のパラダイスである。




 台地の隅に祖母岳という小さな高みがある。その頂上付近は「アルプス庭園」と呼ばれる美しい場所。そこで私は笛を取り出して、お気に入りの曲を奏でた。




 草の茂みの陰には、ライチョウの姿が。




 雲ノ平のテント場は、西向きの緩やかな傾斜地で、夕暮れを鑑賞するにはもってこいのロケーション。




 日没は黄金色の雲がドラマチックな景観を演出していた。





[8月8日]

 黒部五郎岳に掛かる虹で朝が明けた。




 雲ノ平の東の端にある祖父岳の斜面を回って行くと、行く手に槍ヶ岳が見えてくる。この山行のフィナーレを飾る場所である。あそこまで行き着けるだろうか?




 いったん黒部川の源流に下りる。向かいの山は鷲羽岳。




 黒部川源流を渡る相棒M氏。北アルプスに急峻な峡谷を刻む黒部川も、始まりはこんなに小さな流れである。




 この日の泊まりは、双六小屋のテント場。山小屋の表には、騒々しい中高年登山者がたむろしているが、裏手のテント場には、学生などの若いパーティーが多い。私が共感を覚えるのは、むろんテント場の住人たちである。


[8月9日]

 未明にテントを打つ雨があった。雨天では、西鎌尾根を辿って槍ヶ岳まで行くのは気遅れがする。エスケープルートを使って、新穂高温泉へ下山する案が頭をかすめた。2時間待機して、様子を見ることにした。そのうち雨は止み、陽が上ると雲の切れ間から青空が覗くようになった。

 勇躍西鎌尾根に向かう。樅沢岳の登りで振り返ると、双六小屋とテント場が見えた。




 高曇りで、谷間にも霧が湧いているが、視界は悪くない。




 槍ヶ岳もはっきり見える。そのピークに至る稜線が、我らのルートだ。




 だんだん槍の穂先が近づいて来る。




 ついに目前に迫った。ここから肩の小屋まで1時間ほど。




 肩の小屋に着き、ザックを置いて槍の穂先に登る。登るルートは、かような混雑。




 頂上の祠で手を合わせる私。この場所には、2006年の夏に、父の遺骨の一部を散骨した(マルタケ2006年8月「弔いの登山」参照)。




 泊まりは、殺生ヒュッテのテント場。槍ヶ岳山荘とそのわきのテント場は、大勢の登山者でごった返していたが、20分ほど下ったこのモレーンの底は、別世界のように静かだった。



[8月10日]

 下山の日。テント場から見上げると、槍の穂先に朝日があたっていた。




 ヒュッテの前には、朝の景色を眺める人々。




 今日の行程は、槍沢を下って上高地まで。槍に別れを告げ、トットと下る。



 上高地に着く手前でポツポツときて、小梨平で入浴して外に出たら、激しく雨が降っていた。

 この後は、接近している台風の影響で、荒れ模様の予報。



 結局、M氏の体調に問題は無く、予定のコースを歩き通すことができた。きわどいところで天気にも恵まれ、最高の登山となった。

 昨年計画されたが、天候不順のために延期となった二年越しの山行。この春には、私自身腰痛に悩まされて、実施不可能かと思われた時期もあった。それでも、裏山登りのトレーニングを積み重ねて体力の向上をはかり、腰痛体操で腰を整え、実施にこぎつけた。

 多くの幸運と、そして自分でちょっと褒めてやりたいような努力とによってもたらされた、珠玉の山行であった。





ーーー8/17−−− テント利用者増加か?


 この8月上旬に行なった北アルプスの縦走。テントで4泊した山旅だったが、一つ気が付いた事があった。

 ちゃんと調べたわけでなく、データを取ったことも無いから、単なるフィーリングである。その批判を覚悟で述べるのだが、単独あるいは夫婦でテント泊まりをする中高年登山者が増えているように感じた。

 一例を挙げると、槍ヶ岳の殺生ヒュッテのテント場。2006年に泊まったときは、中高年は一人もおらず、また行き帰りの登山路でも、テント泊とおぼしき装備の中高年登山者は見かけなかった。ところが、今年はいた。白髪の老人が、一人でテントを張っていた。

 7月下旬に行った鹿島槍ヶ岳は冷池山荘のテント場でも、初老の男性が一人でテント泊をしていた。そういう光景を、今まで見たことが無かったので、少々驚いたくらいである。

 今回の山行中、すれ違った登山者の中には、私と同じくらいの年齢で、テント装備を担いでいる人を何人も見た。テントのポールはザックの外側にくくり付けるので、見れば分かるのである。言葉を交わした人の中にも、単独でテント泊の男性がいた。またテント場にも、夫婦とおぼしきパーティーが居た。

 テントを使った登山は、テントはもとより、炊事道具、寝袋、そして食料と、小屋泊まりと比べて格段に装備が重くなる。元気旺盛な若い人ならいざ知らず、中高年にとっては簡単にできることではない。かく申す私も、中高年でありながらテント泊をしているのだが、それなりの努力をしている。登山に備えて、普段から体力トレーニングを行なっている。装備や食料をなるべく軽くするように、工夫もしている。それでも、若かった頃に比べれば、情けないほどパワーが無い。

 山の上に溢れている中高年登山者は、ほとんどが山小屋泊まりである。今回富山駅前のバス停で言葉を交わした女性3人組の一人は、私たちのザックの大きさに驚きながら、自分の荷物は5キロくらいだと言った。もちろん山小屋利用である。そのような軽装備で、数日に渡って山の中を歩き回るとの事だった。大方の中高年登山者は、これと似たようなものだろう。

 現代の中高年登山ブームを支えているのが、軽量で高性能な登山用具と、行き届いた山小屋のサービスであることは間違いない。軽いザックで登り、山小屋に着いたら生ビールを飲み、そこそこに美味しい食事を取る。大きな体力的負担も無く、大自然の素晴らしさを満喫できる。特別な技術を要するわけではなく、歩くことが出来れば実行可能なのだから、これはお手軽なレジャーと呼んでも良いくらいである。

 それでは何故、そのお手軽さに背を向けて、テント泊の登山を志向する人が増えてきているのだろうか。山道を歩きながら考えてみた。

 一つには、山小屋に飽き足らなくなってきたことがあるだろう。便利で快適な山小屋と言っても、夏山最盛期には物凄い混雑になる。だいぶ前だが、北アルプスでも名の知れたコース上の山小屋に泊まったことがある。狭い部屋に大人数が詰め込まれ、混雑を極めた中で寝なければならなかった。夜半には、混雑に耐え切れなくて、起き出す登山者がゾロゾロと現れた。用意の良い人は、寝袋持参で、廊下や階段の裏で寝ていた。ああいう混乱を、ものともしない人もいるかも知れないが、私の感覚としては、二度とご免である。

 テントは、自分たちだけの城である。他人に気兼ねをする必要はない。嫌なことを押し付けられることもない。時間を気にすることもないし、列に並んで順番を待つこともない。食事も、自分で調理をするのだから、好きなものを選べばよい。全体に合わせざるを得ない山小屋に嫌気がさし、個性的な楽しみを求める人にとっては、テントは必然的な選択と言える。

 もう一つには、経済的な理由もあると思う。北アルプスの山小屋は、一泊二食で9000円ほど掛かる。夫婦で二泊もすれば、テントが買えてしまう。ひとたび装備を揃えてしまえば、後の経済的な差は歴然である。同じ予算で、山に入れる日数は数倍になるだろう。

 テントを使った山行には、体力的な裏づけが必要である。特に中高年であれば、日常的に体力を鍛えておかなければ、重荷を担いでの登山は無理だと言える。中高年のテント山行が増えてきたということは、そのような努力を厭わない登山者が多くなってきたということだろう。それは好ましい傾向だと、私は思う。

 中高年がひしめき合う山小屋の中は、時として不快に騒々しく、軽薄で猥雑な雰囲気がある。それに対して、山上のテント場というものは、どんなに混んでいても、ある種の静寂があり、好ましい共感のムードというものがある。山小屋を悪く言うつもりは無い。要は利用する者の問題だ。それはさておき、自然との関わりを楽しむのが登山であれば、薄い布一枚で外界に接するテントの生活は、それに相応しいものと言えるだろう。

 テントを利用する山行を、幕営山行とも呼ぶ。この幕営山行という言葉。とても懐かしい、郷愁のようなものを感じるのだが、それは中高年と呼ばれる域に達した登山愛好家が抱く感傷だろうか。



ーーー8/24−−− 異常な暑さの夏


 
今年の夏は、異常に暑い。連日のようにニュースで、最高気温のランキングや、熱中症の被害などが取り上げられている。

 私の母は、都心で一人住まいをしているが、このところクーラーを一日中つけっ放しだと言う。元来はクーラーが嫌いで、なるべくつけないようにしていたらしい。7月に訪れたときも、クーラーが止めてあり、信州暮らしの私には、室内の暑さが耐えがたく感じられた。その母も、もはやクーラー無しでは昼も夜も過ごせないという決断に至ったようだ。

 お年寄りが、クーラーの故障で熱中症になり、亡くなったという記事があった。修理も間に合わずに倒れたという事だが、それほど事態は切実なのだろう。体の弱いお年寄りにとっては、クーラーは命を握る道具となった。これは恐ろしい事である。冬の寒さなら、仮にストーブが故障しても、すぐに生命に関わる事態にはならない。厚着をしたり、布団に入ったりすれば、凌ぐことができる。しかし、暑さはどうしようもない。その意味では、暑さは寒さより恐ろしい。

 日本中が暑さに参っているときにこんな事を言うのは気がひけるが、私の自宅周辺は過ごしやすい。日中30度を超える日が続くことも有るが、耐え難い暑さではない。家の北側に田んぼがあり、その奥の林には小川が流れている。その方角から涼しい風が吹いて来るので、日中でも日陰であればさほど暑くは感じない。プレハブの工房というと、我慢できない暑さを想像するが、窓を開けて風を入れれば、仕事に支障を来たすほどの暑さではない。

 自宅でも、クーラーは一切使わない。日が沈めば、スーッと涼しくなるので、就寝するときも苦にならない。逆に、窓を開けたままにすると、明け方寒いくらいである。それでも、毎年3〜4回は、暑くて寝苦しい晩があったものだが、今年はそれも無い。8月の初めに我が家に泊まった千葉の友人は、「真夏にこんなに気持ちよく熟睡できたのは、何年ぶりだろうか」と言った。

 この記事を書いている今は、8月22日のちょうど正午を回ったところ。真っ青な空から、陽がギラギラと照りつけている。遠くでセミの声が聞こえるが、それ以外は何の物音もしない。不思議なほど静かなのが、この地の夏の昼下がりである。死んだような静けさの中で、樹木や雑草だけが、太陽光線を一杯に浴びて、旺盛な生命力を見せつけている。



ーーー8/31−−− オルフェの衰え


 
オルフェが衰えた。迷い犬で発見され、縁あって我が家に来てからおよそ10年。推定年齢は13歳といったところ。加齢による衰えだが、進行は急激で、情けなくも、痛々しい。

 まず、足が衰えた。ほんの2年前までは、投げたフリスビーをダッシュで追いかけて、ジャンプして空中キャッチをしたものだった。それが、昨年あたりから、少し走るとサボるようになった。以前は犬小屋が設置されている高台から、高さ1メートルほどを飛び降りた。今では階段を降りる。軽トラの荷台に飛び乗るのも、苦手になった。今年になって、ヨチヨチ歩きになった。ときどきつまずいて、転んだりもする。

 下の方も締りが無くなった。これまでは、犬小屋の横の決まった場所でトイレをした。今では、所構わず立ったままポタポタと落とす。横になったまま、お尻からニュウと出ていることもある。ついに小屋の中にまでしてしまい、それが嫌になってか、小屋に入らなくなった。オシッコも、歩きながら出てしまうので、アスファルトの上に抽象画のような模様を描く。

 性格的にも我侭になった。吠えて食事を催促する。以前も、時々そのような行為はあったが、叱ればピタリと止めたものだった。今では、叱っても暫くするとまた吠える。学習能力が衰えたのか、それともボケたふりをして、要求を通そうとしているのか。

 情緒的な面も変わってきた。以前は、擦り寄ってきて人の腕の下に頭をねじ込み、なで(愛撫)を強要するのが常だった。放してやると、地面に仰向けになって、「なでてくれ」というポーズをとった。今では、とんと無関心である。人に愛情表現を求めることは、もはや無い。

 目も悪くなったようだ。元々どれくらい見えていたかは疑問だが、以前出来たことが出来なくなった。パンやバナナの切れ端を投げてやっても、ほとんどキャッチできずに地面に落とす。

 それでも、二つの事に関しては、まだまだ現役である。一つは旺盛な食欲。もう一つは、番犬としての仕事ぶり。いまだに、部外者が来ると激しく吠える。他の面での衰えぶりと比べて、バランスを欠いて見えるくらい、こちらは盛んである。また、良く食べる。体が痩せてきているので、食べたものがどこへ行ってるのか不思議なくらいだが、とにかくガツガツと食べる。恐らくこの二つは、本能と結びついているのだろう。これらがストップしたとき、彼の命は終わるのだと思う。

 犬は人間よりも早く歳をとる。だから衰えるスピードも早い。ところでオルフェは、人間にすれば何歳くらいなのだろう?

 あるサイトで調べたら、犬の10歳は人の56歳、13歳は68歳と書いてあった。56歳と言えば、現在の私の年齢くらい。なるほど、3年前のオルフェの元気さは、現在の私の状態に近かったのだ。ということは、私も68歳になれば、つまり現在のオルフェの歳になれば、寝たままウンチをしてしまうのだろうか・・・

 いささか腑に落ちない点があったので、もう一度調べ直してみた。そうしたら、その換算表は中、小型犬のものであった。大型犬の場合は、はるかに年齢が進むらしい。大型犬の換算表では、犬の10歳が人の75歳、13歳が96歳となっていた。これなら、現状の衰えぶりに当てはまる。3年間で21年ぶんの歳をとるのだから、老け込み方が早いのもうなずける。

 こうしてみると、3年前のオルフェは、歳のわりには元気だったということになる。私が75歳になって、ダッシュしたり、飛び跳ねてフリスビーをキャッチするのは無理だろう。そして、現在のオルフェは、ずいぶん長生きをしていることにもなる。私が96歳まで生存する可能性は、たぶん無い。











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